論説・随想 (2003年 9月)


ヴォルガ川雑感         

井上克彦 (大林組)

....... 日本人の渡航者数はおよそ年間 1,600万人だそうだ。このうち1/3が米国へ、1/3が韓国・中国への渡航者である。距離の 相違はあるとしてもここまでは隣国、そしてもうひとつの隣国ロシアへは年間わずか6万人。国別渡航先ランキングの20位にも入らない。 もともと多民族国家であり、「たが」としての共産主義イデオロギーの枠組みがはずされても、再構築されたロシア連邦の今後とるべき 方向性や秩序を持てず、チェチェン問題などをはじめとした不安定さが目立ち、日本人にはまだまだ安全だとは認識されていないためで あろう。そのロシアの、さらに日本人がめったに行かないであろうヴォルガ川流域の旅に、ひょんなことから参加することになった。
   モスクワへの機内でロシアをヨーロッパとアジアに分けるといわれるウラル山脈を横切った。世界地図を見れば東西に広がる緑色 に着色された広大な平原を、南北に走る褐色の山脈が東西に分割しているように見える。しかし上空からみる山脈はそれほど厳しい地形と は見えず、ただの幅広で長く続く地上の襞(ひだ)の様に感じた。
   13世紀、チンギスハンの孫バトウの率いる強力モンゴル軍はウラルを横切り、諸侯が盛衰するに西ロシアを簡単に制圧し、以後250 年にわたり「タタールの軛(くびき)」といわれる支配を続け、その後は逆に西の勢力がシベリヤに到るまで制覇し現在の枠組みに近い体制 となった。こうした歴史の中で東西の文化が交じり合い、ロシアがアジアでもヨーロッパでもない、むしろ両方の香りを合わせ持つ国となっ ているのであろうが、仮にウラル山脈が行軍をまったく困難にする南方ヒマラヤのような山塊であったなら、日本を含み、 現在とはまったく異なった極東アジアの枠組みとなっていたであろう。
   さて目的地ヴォルガ流域であるが、着陸したモスクワがすでに流域内である。モスクワ西北の標高228mのバルダイ丘陵の水源から 海面下30mのカスピ海まで全長3,530km、流域面積142万km2、ロシア国内5番目の長さの河川ではあるが、ロシア人にとっては何よりも 大切で親しみを感じる川らしい。豊かな水量と資源、時代時代に苦労して築造・改修した三本の運河により、バルト海から黒海を経て地中海 へ抜けられる水運など、歴史的にも経済的にもこの川が重要な役割を果たしてきたからであろう。
 ところでこのヴォルガ川を経済的に最大限利用できるようにしたのが階段状に建設されたダム群であることは間違いない。モスクワの 標高は120m、カスピ海の標高がマイナス30mである。標高差わずか150m、河川延長3000kmの間に8基のダムが連続している。
近年の環境保護センスから考えれば信じられない自然改造ではあるが、一方これら人造湖による流況調整と発電がなければ良きにつけ 悪しきにつけこの国の発展はなかったであろう。
   中流サマーラでの超雄大なヴォルガ川湾曲部はコロラド・グランドキャニオンを彷彿とさせたが、その景観から、もともとヴォルガ川 の川幅は広く、ダム堤高が低いこともあり環境への影響を最小に抑えられたのかもしれないと感じた。最下流アストラハンから、あと100km を船で下ったが、デルタに広がった200以上の分流河川に迷いカスピ海に到達することが出来なかった。    とにかく広い。広大な国土、水や地下資源など豊かな天然資源、洗練された文化を有するロシアである。 すぐにその気になってしまう小生ではあるが、
わずか10日のロシアの旅での想到は「いま少し時間を要するかもしれないが、21世紀後半、ロシアの時代が到来するような気がする。 隣国ロシアをもっと知らねばなるまい。然る後、「樺太・北方列島」だ。」

...ウラル山脈上空.../...ヴォルガ川サマーラの湾曲...


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